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『シムーン』 描き下ろし壁紙

「ほぼ全部集めて『シムーン』人気投票」結果
http://character.biglobe.ne.jp/special/simoun/ninki_all.html

 あ、あぶねぇ〜!描き下ろし壁紙の第1弾をゲットしそこねるところだった……

 シムーン最後のさいごの人気投票ということで、西田亜沙子さん描き下ろしの壁紙が現在公開されている。期間限定で、第1弾は明日29日まで公開ということなので、欲しい人はお急ぎを。思わずため息が出るような、素晴らしい絵だ。さっそくデスクトップの壁紙に設定させてもらった。

 ついでに、今お気に入りの他の壁紙を紹介。まず、一迅社メールマガジンに登録した際にもらった『ストロベリーシェイクSweet』の壁紙。配信期間は11/05〜12/04とのことなので、まだ間に合う。

 それと『カタハネ』の壁紙。以下のリンク先は18禁注意で、OHPのダウンロードページでダウンロードできるものと、【Game-Style】10月の表紙でダウンロードできるものとがある。
関連タグ: シムーン カタハネ

蔵出シムーン

蔵出シムーン
http://simoun.tv/special/kuradashi.html

 ブクマしておいて何となく読みそびれていた、音響監督さんのインタビューを読んだ。密度の濃い、良いインタビューだと思う。

 何か新たな発見があったとか、作品に対する見方が変わった。そういうことよりはむしろ、本編を見て漠然と感じ取っていたことに対して、作り手の側からの言葉による裏付けが得られるというか、「ああやっぱそうだったんだ!」と思えるような内容である。これは音響監督さんはじめスタッフの意図が作中で良く表現されており、視聴者に伝わっていたということだから、考えてみるとすごいこと。自分たちがやりたかったことを、ここまで明確な言葉で語れるというのもすごいけれど。

 もちろん発見も多々ある。たとえば、作中で使われたワルツについて、まさかキューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』の名前が出てくるとは。ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番のワルツのほうだろうな。好きな映画なので何だか嬉しいのに、正直思いもよらなかったw個人的に、シムーンに一目惚れ(?)させられたタンゴの重要性はもとより、ワルツが遺跡で出現させた不思議空間のインパクトも大だったなあ。まさにシムーン音楽の二大柱ってイメージがある。

 シムーンについて過剰なまでに熱く語る辻谷さんに、何となくキャラデザ&総作監の西田さんの印象が重なって、スタッフをこれほど一作品に対して熱くさせるっていうのは、西村監督の力量も大きいんだろうなとふと思った。今後、このページに監督、西田さん、プロデューサーのインタビューも掲載されていく模様。設定資料集でも出して載せてよさそうな濃い内容なのに、気前良いというか、やはり商売っ気が薄いなあと思わないでもない。というか設定資料集を出していただきたい。
関連タグ: アニメ シムーン

[ドラマCD] シムーン CDドラマ 「嗚呼、麗しの派遣OL なぜなんだシムーン株式会社」

Simoun CDドラマ「嗚呼、麗しの派遣OL なぜなんだシムーン株式会社」 Simoun CDドラマ「嗚呼、麗しの派遣OL なぜなんだシムーン株式会社」
ドラマ、新野美知 他 (2006/10/25)
ビクターエンタテインメント

この商品の詳細を見る

 ご飯食べながら聴くんじゃなかった……初っ端から吹き出してしまって笑いっぱなし。すごいよこのドラマCD、ツッコミ役がいないよ。

 私ずっと自分をネヴィリル派だと思っていたんだけれど、実はパラ様のこと大好きだったらしい。パラ様最高!マミーナが何故か生き返っていて、ロードレと仲良くしている(?)場面がたくさんあるのも嬉しかったな。さりげなく「ネヴィちゃん」と囁きつづける、相変わらずマイペースなリモネ、すごい適当にパラ様に合わせたりよいしょしたりしているけど被害妄想がなおってないカイム、ユンが知ったら泣くんじゃないかというようなことになっているオナシア様(あれはオナシア様だよね…?)、そして何より、アーネヴィの最強バカップルっぷりが面白&うざすぎるw誰かこの二人を止めなくていいのか……各キャラの持ち味が存分に発揮されていたと思う。BGMと効果音の使い方も絶妙。

 あと、わりとしっかりしたキャストコメントが収録されていたのが、アフレコ現場の雰囲気を感じ取れるような気がして良かったですね。グダグダだけど和気藹々としてて、作品への思い入れも伝わってきて。なんだか今頃になって寂しくなってきたような、微妙に切ない気分になってしまった。シムーンに対しては、今もけっこう相反する見方がせめぎ合ってもいるけれど、やっぱり大好きな作品であることには変わりない。

 エピソードごとに聴きどころを挙げていこうかなとも思ったけれども、ドラマCDというのはシムーン未見の人に単体でオススメするものでもないと思うので、シムーン好きには是非とも実際に聴いてもらいたい、ということで事足りると思う。散々笑わされた後は、いろんな意味で懐かしい気持ちになれた。
関連タグ: 百合 シムーン ドラマCD

[感想] シムーン 第26話 「彼女達の肖像」

アーエル&ネヴィリル

 なにこれ!鳥肌たったんだけど。私は確かに、凄いものを見てしまった……

 完璧すぎて、終わったことが寂しくすら感じられないじゃないか。凄い。個人的にはあまりにも予想に反するラストシーンであって、一瞬ぼう然としてしまったが、終わってみれば、本当に素晴らしいの一言につきる。

 今、大人になった「彼女達」がふと空を見上げるこの瞬間にも、"永遠の少女"はいる……アーエルとネヴィリルも含めて、永遠の少女でありつづけることは誰にもできないであろうのに、にもかかわらずだ。

 過去が遠く前方に、そして現在がここにあるのではなく、過去も現在も、いわば響き合うように混在している。まさに螺旋状に。そのことを、ただ言葉で語るのではなく、画面で語る、カットのつながりそのものによって表現するという……重なり合い混じり合う、ショットと"声"。そして時間。めまいを覚えるような構成。当初は唐突な感すらあった時空移動ネタも、このためにあって、緻密に組み込まれたものだったのだ。

 あのラストの、今にも二人の笑い声がひびいてきそうなダンスシーン、あれこそが最初から監督の頭にあったシーンであって、第一話の、同じタンゴの旋律に乗せて描かれた鮮烈なキスシーンも強く想起されて、胸がいっぱいになってしまった。感極まって泣いちゃったからね。これはあれだ、なんか、『失われた時を求めて』の「見出された時」を半ば朦朧となりながら読み終えた時の感覚に似てる。

 なんだか考えがまとまらない。色々不満点もあったはずなのに、何だかどうでもよくなってしまった。また第一話から見直したい。一度だけじゃなく何度でも、見直したいと思える作品に出会えたのは確かなことだ。
関連タグ: アニメ シムーン

[感想] シムーン 第25話 「パル」

ネヴィリル

 冒頭の泉でのシーン、パライエッタの「私たちはおちてゆく。おちてゆかなきゃならない」という言葉を聞いて、坂口安吾の『堕落論』を想起した。そぐわないようでいて、奇妙に符合しているように感じるのだけれど、どうだろうか。

 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。


 その一方で、美しいものを美しいままに、永遠の少女であり永遠のシヴュラたらしめようという願いもまた、パライエッタたちを動かすのであって、その希望をアーエルとネヴィリルに託すこと自体は、それほど美しいことでも何でもない。安吾のいう、美しいものを美しいままで終らせたいなどとねがう「小さな人情」というやつだろう。かくして、彼女たちとは反対に、最強のパルはシムーンに乗って、空高く飛び立つ。

 泉からの帰路につくコール・テンペストの面々や、互いに想いを告げるアーエルとネヴィリルなど、とにかく細やかな描写が目を惹く回だった。

 しかし、アーエルが怖い顔して部屋に踏み込んできたとき、もやもやのあまりネヴィリルをまた襲いにきたのかと思ったのは内緒だ。アーエルの剣幕にひるみつつも、相手の心のありかを確信してやまないネヴィリル様が素敵すぎる。そしてアーエルが今感じている胸の痛み、それこそが恋なのだと教える……13話の感想で、アーエルには誘惑されること=恋愛の規則を教わることが必要だろうと書いたのだけれども、誘い受けヒロインの座をほしいままにするネヴィリル様にあっては、赤子の手をひねるようなものだったのかも。

 パライエッタたちの性別化にかんしては、それほど意外でもなかった。ファンの付いた女キャラを容赦なく男性化してしまうのは難しいだろうし、カップルの片割れを男性化してくっつけて解決というのでは、この作品のテーマにもそぐわない気がする。とはいえ、フロエの選択にはやはり驚いたけれども。

 ここ2話ほどで、いくぶん唐突にすら感じられるほど、物語の終わりが淡々と描かれてきた。このまま終わらせれば、かなり奇妙な設定と世界観をもってはいるものの、戦時下で繰り広げられるほろ苦い青春と少女時代の終わりを描いた良作なんて位置付けられることになるのかもしれない。

 しかし、これで逆に、このまま静かには終わらせてくれないだろうという予感を強くしてしまう。
関連タグ: 百合 アニメ シムーン

[感想] シムーン 第24話 「選択」

アーエル&ネヴィリル

 泉へ向かうコール・テンペストの面々。列車の中で笑いさざめく少女たちの声、そして笑い声がやみ、人物の動きのなくなった舞台をカメラが長回し気味に映し出すシーンは、一抹の寂しさがにじみ出てくるような名場面といえるだろう。

 ユンはオナシアを救った。結局のところ、オナシアの背景については言葉少なに、観念的に語られただけであって、その存在にまつわる謎や、オナシアが今のような役目を引き受けるにいたった経緯なども、具体的には明かされぬままだった。オナシアの存在は、最終的に物語を解く鍵となりうると予想していただけに拍子抜け。

 オナシアが消滅し、ユンがその役目を引き継いだようにみえるのだが、それが後にどういう影響を持つかは分からない。このエピソードの意味は最終回を待たなければ評価しづらいが、主役陣に対してここまで大きく尺を配分したからにはアーエルとネヴィリルの今後と絡まないということは考えられないので、とりあえず「永遠の少女」というキーワードで両者を括り、オナシアとアーネヴィは一見似たような選択をしようとしているようにみえるが実は異質である、という対比の関係に置かれることになると予想しておく。

 翠玉のリ・マージョンを拒むアーエルに対し、「アムリアのことは気になるが、私が好きなのはアーエルだ」と告白するネヴィリル。これも切ない雰囲気で良いシーンだが、こんな判決を下すような口調で告白する女の子をはじめて見た。ちゃんとその理由まで告げているからには本気だとも取れるが、この流れでは、ネヴィリルの本心からの言葉なのか疑わしくもある。「違う世界に行かなくてもいい」と言いながら、それ前提に話しているし、アーエル→ネヴィリルは納得できても逆は……という思いが個人的にあるからだろうか。

 ここへきて、群像劇的なドラマとはいえ、主人公のアーエルに対しての描写が十分ではなかったと感じられる。アーエルというよりも、アーエルとネヴィリルの関係に、ということかもしれないが。アーエルがネヴィリルの告白に応えるようなエピソードが、どのタイミングでくるか……まあ、あと2話のうちのいつかではあるわけだが、それが言葉なのか、それとも何らかの行為だったり自己犠牲だったりするのか。
関連タグ: 百合 アニメ シムーン

[感想] シムーン 第23話 「永遠の少女」

アーエル

 永遠の少女って、アーエルのことじゃなくてオナシアのことだったのか。

 オナシアの罪というのはつまるところ、現実を見ようとせずに性別選択を回避しつづけてきたということ?「それがどんな結果を生むかお見せしましょう」と言ってるが、見ても何がどうなってるのかよく分からない不思議。選択を回避しつづけることによって、存在が希薄化するとかそういうことなのだろうか。オナシアはもはや疲弊しきって滅びを待っているかのようにみえるが、順調に思惑をはずしつづけている宮主さまが必死の形相になっていることもあり、このままでは終わらなさそう。

 そういえば、泉は宮国の各地に多数散在するのではなくて、全部で二箇所だったのね。父神たるテンプスパティウムに対応して、シムーンに母性というか母胎のようなイメージをもっていたので、それが「少女そのもの」というオナシアの言葉には納得しつつも驚かされた。シムーン=少女の聖性というモチーフを読み取ってもよいだろうか。

 コール・テンペストの解散を和平の条件として提示されたのと時を同じくして、ハルコンフも政治的に失脚。宮国の上層部もずいぶん露骨だ。解散すればシヴュラ・アウレアの威光も失墜するのだろうが、その逆をいくかのように、巫女としての自覚を強め、赦しを乞う人々に祝福を授けていくネヴィリルが印象的。

 彼女以外のキャラもそれぞれに成長し変化を遂げつつあるが、アーエルの変わり方は面白すぎ。ネヴィリルに対して急に本気になったのは、アムリアの生存可能性が出てきたからだろう。つまり、それまでもネヴィリルに惹かれていたが、シムーン・シヴュラとしての才能や強さに対する憧れにすぎないものと思い無自覚でいたのが、潜在的なライバルの出現によって、自身の立場をおびやかされて初めて自覚にいたる。これは少女漫画をはじめとするラブ・ストーリーの定型だよね。三角関係につきものの不安と嫉妬が、恋愛感情を促進する。今なら、ネヴィリルが深夜にメロンパン食べたいって駄々こねれば、ブツブツ言いながら買いにいってくれそうだ。

 しかしながら、翠玉のリ・マージョンをやろうという誘いには乗ろうとしないアーエル。もちろん、ネヴィリルがアムリアに会いたい一心であり、違う世界云々はそれに付随するものでしかないと察知しているから気に食わないのだろう。以前のアーエルなら、普通に「アムリアを倒しに行ってネヴィリルゲットだな」とか考えてそうな気がする。恋を知ることは、弱さを知ることでもある。嫉妬や独占欲を、弱さのあらわれだとするならば、だけれど。そういう意味では、アーエルの破天荒な強さは、所詮弱さや絶望を知らない子どものものでしかなかったということかもしれない。これまでは、だけれど。

 それにしても、白い鳥が、アルクス・プリーマの艦体を撫でるようにすれすれに飛んでいくシーンが、光の具合といい、息をのむほど美しかった。これぞシムーンという感じで。あれって、戦争の終結を象徴するものだったりするのかな。
関連タグ: シムーン アニメ 百合

[感想] シムーン 第22話 「出撃」

アヌビトゥフ

 派手な空中戦の後、晴れ晴れとしたBGMのもと、アヌビトゥフのさわやかなセリフひとつで和平締結。まさしくシムーンクオリティ……なのか?

 だが、無惨に敗れたりはしない、負けるとしても美しく、という気迫めいたものを感じたのも事実。ドラマ的にも、ドロドロとした葛藤劇は背景に後退し、序盤の淡々として透明感のある雰囲気が戻ってきたような。修羅場や鬱展開も好きだけれど、最初の方のとりとめもなく物静かな語り口に惹かれていた私としては、かなりお気に入りの回になりそう。パラ様復活、アヌビトゥフの予想外の出撃をはじめ、見どころ満載でクライマックスはしっかり盛り上げているし。

 中盤、黒衣をまとって人々を前にし、祈りを捧げるシヴュラたちの姿が印象的だった。戦うことと祈りを捧げることが、分かちがたく結びついている巫女たち。そのときのやりとりをみる限り、アーエルは、アムリアの名前を口にされただけで過敏に反応するほど強く、その存在を意識し始めているようだが、果たしてアムリアとネヴィリルの再会はあるのだろうか?

 それにしても、アヌビトゥフとグラギエフのシヴュラ時代のアイキャッチ絵に愕然。どうして、お互い特別な思いがありそうなのに、同じ男性を選んでしまったのだろうか。だが、二人はアルクス・プリーマに乗り込むことを泉へ行く前から希望していたのかもしれないし、結婚するよりも常に一緒にいられる方を暗黙のうちに選んだとか、そういうエピソードが隠されていたり?別に男同士になっても付き合えるし……

 しかし、アヌビトゥフは体の線が細すぎて、中性的な容姿の女の人にしかみえなかった。パラ様とかネヴィリルのような豊満ボディの前では特に。全員女声といい、このアニメでは性差が非常に曖昧なのだけれども、それが最初の違和感が消えると、当たり前に受け入れられてしまうのが不思議だ。
関連タグ: シムーン アニメ 百合

[感想] シムーン 第21話 「新天地への扉」

シムーン

 今回のポイントは、ドミヌーラが解体されたシムーンの内部に見たのは、具体的な何かではなくて、「啓示」とでも呼ぶほかないようなものだったという、そのことだろう。そしてふいに存在感を増したオナシアに、多くの謎が集約されてきつつあるという感もある。しかし、本人はどうして疲弊しきっているのだろうか。

 「現在」と「過去」がまるで雑居しているかのようにストーリーが展開している。現在のシーンと回想シーンはこれまできっちりと分けられて描かれてきただけに、一見すると異様な感じも受ける。が、時間移動を経たドミヌーラからみると、まさに「現在」が前(過去)に、「過去」が後(現在)にきているということになり、それらがまるで同時進行しているかのように描かれるのも、当然といえば当然なのかもしれない……雲の切れ目から光が射し、そこからシムーンが現れるという、まるで聖書の一節のようなシーンといい、演出が目を引いた。

 シムーンの内部を覗いてしまったドミヌーラに、流れ込んできた記憶というのは、個人のものではなくて、神あるいは歴史そのものとか、そういう超越的な存在のものだったのかもしれないと思う。上で仮にも「啓示」と呼んだのはそのためだ。過去(ドミヌーラからみれば未来ともいえる)の自分自身の記憶?とも考えたけれども、それだとドミヌーラ自身が迷いつつも選択しようとする余地はなくなってしまうような。それ以前に、ドミヌーラ自身が、記憶にかんして深刻な混乱をきたすと思うのだけれども、その様子もない。

 宮主がアーエルたちに語ったのは、歴史の一回性を揺るがすような真実だった。とはいえ、今のところドミヌーラが歴史を改変しえたかどうかはよく分からないし、それが可能なのかも分からない。それとも、すでに改変の結果とみるべきなのか?果たして歴史の改変は可能か?

 たとえ「現在」から「過去」へ移動した人間であっても、自分の行動が後にどういう影響をもたらすかを予測しつくすことなど不可能なので、したがって意図的な改変は不可能で、ただ「現在」を揺らがすことのない、「現在」の状況に沿ってそれを追認するような選択をして終わるだけかもしれない。あのとき彼女を行かせていなければ彼女は死なずに済んだのだ、とかそのレベルで個々の具体的事象の改変はできるかもしれないが、総体としては無理と。

 しかし、ドミヌーラの場合、解体されたシムーンの内部を見たことによって「啓示」めいたものを感受し、それに従ったからこそ、確信的に「現在」に影響を与えうる、あるいは与ええたと考えられる。つまり、個人的な意志によって好き勝手に行動しても歴史は変えられないけれども、神の「啓示」は歴史を変更しうる。その可能性はある。そのときドミヌーラは、神の「啓示」を受け人々を導く、まさに神の申し子のような存在となる。

 しかし、その変更がどう「現在」を変えるか、その改変を「現在」に生きる人々が認識できるかどうかは分からない。

 宮主の言葉、神が間違えることはないというのは正しい。というよりも、決して間違えないのが神である。しかし、それなら、戦乱の世を憂い、一回きりの歴史を改変しようとしている宮主の意志は間違っているのではないだろうか。オナシアが沈黙を守りつづけている点からしても、宮主の歴史観は浅はかなものでしかないように思える。ドミヌーラが迷いつつも啓示に従った時点で、ドミヌーラが「現在」において完成させた翠玉のリ・マージョン、それを伝えたのはまさにドミヌーラ自身であったという、眩暈のするような逆説が生じているのをみれば、それほど単純ではないことに気付かされるはずだ。

 ドミヌーラが村人たちに歌って聞かせた(実質的にはドミヌーラが伝えたものということに)のは、「新天地への扉」、移民たちの歌であり、アーエルの風琴のメロディの元でもある。これは重要な点だと思う。宮国に伝わっているわけではない、ということが。度重なる戦争によって均等に荒廃した大地から、宮国を特権化している神の恩恵の象徴たるシムーン(の使用法)が、実は宮国の生まれではないと思われるドミヌーラによってもたらされていたという事実。それは外からやってきたものなのだ。外部からやってきた神(の申し子)、というのも示唆的ではある。
関連タグ: アニメ シムーン

[感想] シムーン 第20話 「嘆きの詩」

アーエル&ネヴィリル

 棺に横たわるマミーナの頭を、押し黙ったまま、ただ撫でつづけるロードレが痛々しい……

 「どうしてマミーナなんだろう」とのカイムの言葉に、思わず顔をゆがめるネヴィリル。パルのマミーナが死んでしまったというのに、涙も出ない。アムリアを失ったときに、同時に自分の心も死んでしまったのだろうか?だから他人の心を傷つけ、はねつけても、痛みも感じないのか?マミーナの代わりに、そんな自分こそが死ねばよかったのかもしれない……そんなふうに、マミーナの死そのものに向き合うよりは、醒めた自意識の円環の中にはまりこんでいるネヴィリル。マージュプールを覗き込んだとき、ネヴィリルはふと、死に近づこうとしていたのだろうか。

 しかし、仲間の死の悲しみを、それを止められなかった後悔を、繕いもせず吐露するアーエルを見て、彼女と同じように、強くなりたい、私たちならできると繰り返していたアムリアのことを思い出す。本当に何も恐れていないのならば、強くなる必要などないはずなのに。そして、嶺国の巫女たちから身を挺してシヴュラ・アウレアを庇おうとした、マミーナの言葉も。流れないはずの涙が頬を伝う。

 マミーナの気持ちを分かりたいと思っていたはずなのに、結局自分はお嬢様にすぎなかった。何も分かっていなかった。そう悔悟するロードレといい、「死んじゃった人の気持ちなんて分かるはずない」と解釈そのものを拒否するフロエといい、分かり合えない、もう一歩が届かないというような、痛みを伴った距離と無力感とが淡々と描かれていく。非力を悔いるパラ様にむかって、「姉さんのために、姉さんから離れる」とほとんど絶望にも似た決意を明かすアルティといい、かなり救いのない話だったと思う。

 それでいて、ラストでなんとなく、ドミノ倒しのようにしてその距離が飛び越えられてしまった気がする。シムーン・シヴュラであるという絆によって……なのだろうか?よく分からなかった。20話まで見てきてるのに、未だによく分からないと思ってしまう。運んできたシミレごと棺を撃ち落とし、マミーナの遺体を花畑に放り出してしまう辺りのシーンで、何となく自分が見方を間違えていたような気がしてならなくなった。サブタイトル通りの、あまりに詩的なシーンだったので。風に吹かれて空に舞い上がる花びらと、マミーナの魂とが渾然一体となってるような、すごく美しいシーンでしたね。
関連タグ: アニメ シムーン

[感想] シムーン 第19話 「シヴュラ」

マミーナ!!

 マミーナ、ロードレのこと守ってあげるって言ってたのに……

 初見ではそれしか思い浮かばなかった。正直に言えば、マミーナがなぜ死ななきゃいけないのかもよく分からなかったし、シムーンを飛び降りる前におさげを切り落としたということは、ロードレのことだってちゃんと頭にあったはずなのに。ロードレが悲しむことよりも、敵国の巫女を救う方が大事だったのか?と。

 でも冷静に見直すと、結局マミーナにはこうするしかなかったんだということが理解できる。理解はできるけれど、心情的には共感しづらくて、アングラスの行為と似たような違和感を覚える。信じるものが違うというのは、こういうことなのだろうか。しかし、自ら死を選ぶことに誰もが納得する理由などあるはずもなく、納得できないにしてもやはりただ悲しい。

 上層部の異様に甘い見通し。コール・テンペスト最強のパルを解消させた挙句に、二人欠員が出たばかりなのにシヴュラをさらに二人、作戦行動から外したこと。そしておそらく、宮国最高のコールのシムーンがそうそうやられたりはしないはずという、シヴュラ自身の無意識のそして素朴な信念から生まれたものだろう隙によって、累積されてゆくリスク。それらが複雑に絡み合ってネヴィリル機被弾・不時着につながったのは確かなことだが、マミーナの自ら選択した死の理由は、そこに帰することはできない。

 アルティ・フロエ機を身を挺して逃がした時点で、ネヴィリルたちは無事離脱することを半ば断念していたと思う。敵基地に不時着し、取り囲まれて銃を突きつけられるという絶望的な状況の中、シヴュラ・アウレアに手出しすることは許さないと宣言するマミーナに、傷を負い朦朧としながらも涙ぐむネヴィリル。功を焦るあまり、ネヴィリルに関係を強要し、アーエルと場外乱闘にいたったあの頃の彼女はもういないのだ。そして、そんなマミーナもまた、シヴュラ・アウレアと同じく最高のシヴュラなのだと告げる、敵国の巫女。

 嶺国の巫女が、神に最も近しい場所にいるという理由から、宮国の巫女に最高の敬意を抱いているというのは意外だった。たとえ敵国の人間であろうとも、同じ神のもとで同じ神を信じる巫女なのだという、共同体の宗教にはみられない、国家の枠組みをこえて信仰される世界宗教に特有の意識が共有されているということ。しかも見逃せないのは、嶺国の巫女のキスに、シムーン球が応えている場面だ。古代シムーンが起動できている時点で、予測できることではあるが、これをみてマミーナと嶺国の巫女は思わず顔を見合わせてほほえみ合う。

 テンプスパティウムは、単純に宮国固有の共同体の神であると見なすことはもうできない。それは、国家の枠組みをこえる規模で広く信じられている神、にもかかわらず、なぜか宮国にしか恩恵を授けない(ようにみえる)神なのである。逆にいえば、宮国によってその恩恵を独占されてきた神、というべきだろうか。

 神に最も近いという宮国のシムーン・シヴュラを、自らの命を賭してまで逃がそうとする嶺国の巫女たち。その満ち足りたようなほほえみを見て、とっさにすべてを理解するマミーナ。嶺国の巫女たちは、巫女として、信じるもののために命を投げ打とうとしているわけで、はからずも「シヴュラたること」の本質というかモデルをマミーナに提示している。そして彼女たちの目には、マミーナは他ならぬ「最高のシヴュラ」として、マミーナがシヴュラ・アウレアを尊敬するのと同じように、命を賭けても守るに値する存在として映っていた。そんな「最高のシヴュラ」が、そのような他者の命を犠牲にしてまで生き延びることを選ぶだろうか?

 シヴュラとしてどう行動すべきかという規範を、嶺国の巫女から示されているにもかかわらず、それに従わないなら自分は彼女たちの目に映っているようなシヴュラたりえないし、そうならば嶺国の巫女が命を賭けるに値しない存在ということになり、その行為をむだにすることになってしまう。

 マミーナはシヴュラとして、何に命を捧げたのか。宮国のためでもなく、単に仲間のためだけでもなく、同じ神を信じるというただひとつの絆で結ばれた、名も知らぬ他者のために。それはマミーナ自身の選択でありながら、その他者の目にマミーナが最高のシヴュラとして映っていたということ、そのことからきたのだろう。嶺国の巫女たちが命を賭けて守るに値するような、そんなシヴュラであるためには、彼女たちを置いて逃げるわけにはいかない、という逆説めいた状況。「最高のシヴュラ」だと承認されたからこそ、逆にそうあらねばならないという要請。そこで潔く死を選ぶこと自体、誰にもできることじゃないというかマミーナにしかできないことだろうけれども。

 そして、マミーナが死の間際につぶやく、神への愛。それが、異国の言葉で、異国の巫女に倣って告げられているということが、マミーナの行為の本質、何のためにということを、これ以上なく表しているのではないだろうか。はっきりいってしまえば、国や仲間のためではなくて、神の他には何ひとつ共有しない他者のために死ぬことによって、理想的な形で神に殉じたのだということを。
関連タグ: アニメ シムーン

[感想] シムーン 第18話 「葬列」

パラ様

 パラ様、とうとうやっちゃいましたね……未遂に終わったからまだよかったようなものの、これで、ネヴィリルを陰ながら見守りつづける幼なじみのナイトは、トドメを刺されてしまった。これまで隠していたなまなましい嫉妬や欲望を、自滅的にさらけ出してしまったわけで。

 しかし、パラ様はキャスト順でもネヴィリルに次ぐ重要キャラだけあって、作中での扱いも本当に容赦ないwネヴィリルとパルを組む妄想なんて、心当たりがありすぎるだけに、見たくないものを見せられたような気分だった。これはまさに、アーエルのじいちゃんの言葉を借りれば、消されてしまった可能性のひとつなのだろう。過ぎてしまった出来事が、もしこうならどんなによかっただろう、という苦い後悔を伴って。

 大切なものが明確に分かっていて、それを軸に行動がある程度一貫しているというのが、パラ様の良いところではある。しかし、彼女が固執しつづけている「守る」という思考パターンから脱け出せない限り、このアニメでは成長したと見なされないのかもしれない。どれほど犠牲を払っても愛する人を守るという、そのこと自体は一概にダメとはいえない。もし実行できるなら、立派なことかもしれない。問題なのは、ネヴィリルを守る自分でありたいと望んでいることに、多分に自己欺瞞がまじっていそうなところ。

 パラ様は基本的に、自分の本心を口にしないで隠そうとする人、として描かれていると思う。ただその本心を、周囲は敏感に察知しているからこそ、コール・テンペストのまとめ役としては拒否されてしまうわけだけれど……

 たとえば、ネヴィリルがアムリアのパルに選ばれたとき、それでも「私がネヴィリルのパルになりたい」と言い募ることはできた。それこそアーエルのように、拒まれても嫌われても、あきらめずに気持ちをぶつければ何とかなったかもしれない。アーエルが来たときも、ネヴィリルを託したりはせず、渡さないと言えばよかった。そして、ネヴィリルが弱気になっていたとはいえ、自分からパラ様を誘おうとしたのに、それを拒んでしまった。確かにネヴィリルが、逃げ場を求めてパラ様にすがろうとしていたのは明らかだったけれども、実際にパラ様は後悔しているわけでしょう。

 これまで自分の重ねてきた選択が、実は本当に望んでいたことではなかった。ただネヴィリルのためだと思って選んできたことこそが、ネヴィリルをパラ様から遠ざけていく。アーエルのじいちゃんの言葉を借りれば、可能性を消してきてしまったわけだ。パラ様が本当に望んでいたのは、ストイックにネヴィリルを守りつづけることなんかじゃなくて、そばにいて愛されることだったはずなのに、その意味では不本意な選択だった。ネヴィリルにとっては正しい選択だったとしても、パラ様の望む選択じゃなかった。何のために、何を信じて選ぶのかということ。パラ様の暴走は、「これでよかったんだ。私の選択は間違っていなかった」という、自分に言い聞かせるようなモノローグに呼応してるのだと思う。ネヴィリルにとってはよかった、じゃあ私は?と問うたときに、もう取り返しがつかないと感じて追い詰められてしまったのだろう。

 だから今回、こういう形でパラ様の本心が露呈したのは、逆によかったのかもしれない。もちろん行為自体はほめられたことではないし、ネヴィリルの目は冷ややかだったけれども、私はパラ様を応援するよ。最終的に、「ネヴィリルは私のものだ!お団子の分際でー!!」とか言いながらアーエルの命を狙って撃墜されるくらいには、はっちゃけてほしいと希望。

 選択とそれに伴う可能性の消失、そこからくる痛み。「選択を重ねることは、可能性を消していくこと」。だが、選択しないこともまた選択であり、選択しないことを選択しつづけることであって、選択した先にある可能性を刻々と放棄してゆくことでもある。しかし、シムーンに乗り続けるためには、まさにそれが必要とされることであって、その先には「違う世界」がある、というのが、アーエルがじいちゃんから聞かされた話だった。「違う世界」というのは文字通りの意味なのか、何かの比喩なのだろうか。

 ドミヌーラやリモネはともかく、アングラスも「違う世界に行った」というけれども、実際に彼女の遺体は遺跡の中で発見され、葬儀も行われたわけで、アーエルはちょっと妙なことを言っている。古代シムーンの中で発見された遺体は、アングラスがその「違う世界」へ行って、どうなった結果なのだろうか?その古代シムーンも、ほとんどが嶺国の手に渡ってしまったというし、せっかく軌道に乗り始めたアーエルとネヴィリルのパルにも思わぬ邪魔が入るしで、続きが気になって仕方がない。
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[ゲーム] SIMOUN 異薔薇戦争〜封印のリ・マージョン〜

SIMOUN 異薔薇戦争〜封印のリ・マージョン〜
http://www.mmv-i.net/game/ps2/simoun/index.html

 シムーンのゲーム版公式が正式オープンしてますね。

 ストーリー紹介にて「プレイヤーはアーエルとなり」と明記されてますから、主人公はアーエルで決まり。立ち絵は使い回しですか?今のところ、新規といえるゲーム画面(SLG部分は除く)が出てないのが気になる。あと、キャラ紹介にマミーナとユンがいないのはどうしてでしょうか。

 しかし気になるのは、ゲーム本編よりもむしろ、限定版4大特典+予約特典の方だったり。ゲームが地雷だった場合を考えに入れると、やはり買うなら限定版だなあ。

 というか、「舞-乙HiME〜乙女舞闘史(仮)」の発売がジワジワと延期されてるので、色々予定が狂ってしまって困ってます。早く何とかしてください!!
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[感想] シムーン 第17話 「遺跡」

ネヴィリル×アーエル

 EDが流れ始めたとき、「うーん……分からん!」と呟いてしまった。まさに、謎が謎を呼ぶ展開。
 
 神への愛に命を捧げた嶺国の巫女・アングラスの遺体が、宮国の聖地である遺跡で発見される。これは、テンプスパティウムと彼女が信じる神とは同一のものだった、という彼女自身の口から語られた説を裏付けるとみてよいのだろうか?それに、宮国で埋葬されるということは、少なくともこの遺体は遺跡から外へ持ち出すことができるということであり、遺跡内部の異空間での幻影の類ではないと。それなのに、例の爆発の規模に対して損傷が小さすぎる。翠玉のリ・マージョンで消失したシヴュラの手がかりが得られるのかと思いきや、どうして彼女が現れたのか……この遺跡の形状自体も、非常にミステリアスだ。まるでクレーターだけれども、どうしてこのような凹地が出来たのか。

 さらに、テンプスパティウムとは、遺跡の奥で遭遇したオナシアの言葉によれば、
■テンプス=時の流れ(時間)を見届ける
■スパティウム=人々の居るべき場所(空間)を示す
にそれぞれ対応してその二つが対となり、人々に限りない恩恵と恐怖を与えてきたという。これと、一対のヘリカル・モートリスは時間力と空間力を制御するとされる、というワポーリフの解説、そして、神の乗機であると同時に悪魔のようにも映るという、シムーンの両義的なありかたとの類似性がまず指摘できる。

 そして、そのテンプスパティウムと深く結びついているらしいオナシアは、「私はどこにでも居る。そして、どこにも居ない」と謎かけのように語る。遺跡においては、「すべての時と場所が、すべての呪縛から解放されている」。オナシアは、時間と場所を超越して遍在する存在なのだろうか。どこにでも居るからこそどこにも居ないという逆説、それは神(的なもの)のありかたに通じるものがあり、また「あの世」はあるのか、ないのか?という問いにせまるものでもある。たとえば「あの世」があるとすれば、遺跡の内部と似たような構造なのではないか。

 ただこの遺跡の内部は、この世にそのまま接続されている(その逆の言い方のほうが正確かもしれないが)わけだし、むしろあの世とこの世、過去と現在(もしかしたら未来も)が交錯する地点というべきかもしれない。そんな場所は、もはや「どこでもない」。それから、アーエルの言葉を信じるなら、宮国の人々に性別化を施してきた泉の、文字通り"源泉"が存在する場所でもあった。各所の泉はここにつながっていた(どのレベルで、かはよく分からない)ということだろう。遺跡を守るように出現した黒いシムーンといい、ストーリー上の不確定要素が、ここにきて一挙に噴出してきた感がある。

 ふと思ったのだが、アーエルが泉へ行かずにシムーンに乗り続けている理由は、「じいちゃん」と関係があるのではないか。もっといえば、じいちゃんとの再会が目的なのではないかと思えた。彼女はそのじいちゃんから、重要な秘密を明かされていたようだし、さらに形見である風琴の謎めいた動作をみると。

 にしても、泉でオナシアに遭遇する場面のBGMの使い方がとても好きだった。ショッキングな場面にそぐわない音楽を付けて、ズレの感覚によってシュールな効果を与えることに成功している。タンゴの次はワルツか!

 それから、ことのほか冒頭のネヴィリルのモノローグが熱かった。実は激しい人なんだよね。アムリアと翠玉のリ・マージョンを忘れようなんて浅はかだった、というその認識は正しいと思う。シムーン・シヴュラとしての責任と決意という点においてのみならず、精神的な安定を得る意味でも。本当につらいことは、忘れようとすればするほど、思い出してしまったときにそのギャップから強烈な揺り返しが起きるものだ。

 急に攻めに転じたネヴィリルに少々困惑するアーエル。確かにこの変わりようは、わけが分からんだろうなwあのキスは好意の証というよりも、「一緒にドアを開けよう」というアーエルの以前の言葉(とキス)に対する応答としてあったのだと思う。良いキスシーンだ。でもキスしながら、二人とも目を見開いているのはどうなのだろうかとちょっと思った。
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