
マミーナ、ロードレのこと守ってあげるって言ってたのに……
初見ではそれしか思い浮かばなかった。正直に言えば、マミーナがなぜ死ななきゃいけないのかもよく分からなかったし、
シムーンを飛び降りる前におさげを切り落としたということは、ロードレのことだってちゃんと頭にあったはずなのに。ロードレが悲しむことよりも、敵国の巫女を救う方が大事だったのか?と。
でも冷静に見直すと、結局マミーナにはこうするしかなかったんだということが理解できる。理解はできるけれど、心情的には共感しづらくて、アングラスの行為と似たような違和感を覚える。信じるものが違うというのは、こういうことなのだろうか。しかし、自ら死を選ぶことに誰もが納得する理由などあるはずもなく、納得できないにしてもやはりただ悲しい。
上層部の異様に甘い見通し。コール・テンペスト最強のパルを解消させた挙句に、二人欠員が出たばかりなのにシヴュラをさらに二人、作戦行動から外したこと。そしておそらく、宮国最高のコールの
シムーンがそうそうやられたりはしないはずという、シヴュラ自身の無意識のそして素朴な信念から生まれたものだろう隙によって、累積されてゆくリスク。それらが複雑に絡み合ってネヴィリル機被弾・不時着につながったのは確かなことだが、マミーナの自ら選択した死の理由は、そこに帰することはできない。
アルティ・フロエ機を身を挺して逃がした時点で、ネヴィリルたちは無事離脱することを半ば断念していたと思う。敵基地に不時着し、取り囲まれて銃を突きつけられるという絶望的な状況の中、シヴュラ・アウレアに手出しすることは許さないと宣言するマミーナに、傷を負い朦朧としながらも涙ぐむネヴィリル。功を焦るあまり、ネヴィリルに関係を強要し、アーエルと場外乱闘にいたったあの頃の彼女はもういないのだ。そして、そんなマミーナもまた、シヴュラ・アウレアと同じく最高のシヴュラなのだと告げる、敵国の巫女。
嶺国の巫女が、神に最も近しい場所にいるという理由から、宮国の巫女に最高の敬意を抱いているというのは意外だった。たとえ敵国の人間であろうとも、同じ神のもとで同じ神を信じる巫女なのだという、共同体の宗教にはみられない、国家の枠組みをこえて信仰される世界宗教に特有の意識が共有されているということ。しかも見逃せないのは、嶺国の巫女のキスに、
シムーン球が応えている場面だ。古代
シムーンが起動できている時点で、予測できることではあるが、これをみてマミーナと嶺国の巫女は思わず顔を見合わせてほほえみ合う。
テンプスパティウムは、単純に宮国固有の共同体の神であると見なすことはもうできない。それは、国家の枠組みをこえる規模で広く信じられている神、にもかかわらず、なぜか宮国にしか恩恵を授けない(ようにみえる)神なのである。逆にいえば、宮国によってその恩恵を独占されてきた神、というべきだろうか。
神に最も近いという宮国の
シムーン・シヴュラを、自らの命を賭してまで逃がそうとする嶺国の巫女たち。その満ち足りたようなほほえみを見て、とっさにすべてを理解するマミーナ。嶺国の巫女たちは、巫女として、信じるもののために命を投げ打とうとしているわけで、はからずも「シヴュラたること」の本質というかモデルをマミーナに提示している。そして彼女たちの目には、マミーナは他ならぬ「最高のシヴュラ」として、マミーナがシヴュラ・アウレアを尊敬するのと同じように、命を賭けても守るに値する存在として映っていた。そんな「最高のシヴュラ」が、そのような他者の命を犠牲にしてまで生き延びることを選ぶだろうか?
シヴュラとしてどう行動すべきかという規範を、嶺国の巫女から示されているにもかかわらず、それに従わないなら自分は彼女たちの目に映っているようなシヴュラたりえないし、そうならば嶺国の巫女が命を賭けるに値しない存在ということになり、その行為をむだにすることになってしまう。
マミーナはシヴュラとして、何に命を捧げたのか。宮国のためでもなく、単に仲間のためだけでもなく、同じ神を信じるというただひとつの絆で結ばれた、名も知らぬ他者のために。それはマミーナ自身の選択でありながら、その他者の目にマミーナが最高のシヴュラとして映っていたということ、そのことからきたのだろう。嶺国の巫女たちが命を賭けて守るに値するような、そんなシヴュラであるためには、彼女たちを置いて逃げるわけにはいかない、という逆説めいた状況。「最高のシヴュラ」だと承認されたからこそ、逆にそうあらねばならないという要請。そこで潔く死を選ぶこと自体、誰にもできることじゃないというかマミーナにしかできないことだろうけれども。
そして、マミーナが死の間際につぶやく、神への愛。それが、異国の言葉で、異国の巫女に倣って告げられているということが、マミーナの行為の本質、何のためにということを、これ以上なく表しているのではないだろうか。はっきりいってしまえば、国や仲間のためではなくて、神の他には何ひとつ共有しない他者のために死ぬことによって、理想的な形で神に殉じたのだということを。