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 2006年06月 

[メモ] シムーンのアーエルxネヴィリルは萌えない

 と、シムーンを見ている知人が言い出した。私は普通に萌えるカップルだと思ってるので、「どの辺が?」と聞くと、「セックスしてるところが想像できない」と身も蓋もないことを。

 私は想像できるけどなあ。13話でアーエルがネヴィリルの唇を奪ったとき、もしパラ様が邪魔しにこなかったら……って妄想すると楽しいじゃん。でもそれは、雑誌記事とかで、本編とはほとんど対応してなさげなアーエルとネヴィリルのエロいイラストを見たりしてるからで、本編だけ見てるとそう感じるのかもしれない。ガチっぽさでは、死んじゃったけどアムリアxネヴィリルの方が上だし、ネヴィリル←パラ様の線もあるし、百合姉妹、ドミxリモネも(ry

 現状でいうと、「これから戦闘があるわけでもないのに、(キスするなんて)変!」「ネヴィリルが欲しいよ!……ネヴィリルとなら、誰よりも高く飛べる」「『好き』だと、シムーンに乗らないときでもキスしたくなるらしいよ〜」なんていう無知ゆえのイノセンスっぷりを惜しみなく発揮しているアーエル。ヒロインのくせして主人公ラブどころか、死んだ恋人にご執心で、アムリアに似た後ろ姿でも見ようものなら任務ほっぽりだしてダッシュしちゃいそうなネヴィリル。互いにてんで別の方角に目が行ってるわけで、彼女たちの間には、そういう妄想の契機が今はないのかもしれない。

 つまり、どちらかが先に最初から、あるいは序盤のうちに相手のことを好きになっていて、それが成就する形でカップル成立、という順序じゃないのですよね。「やっぱり、あんたは私を求めてるんだ!」ってセリフは、聞こえは相当アレですけど、それが本当だとしても、ネヴィリルは別にアーエルに惚れてるわけじゃないでしょう。アーエルが、ネヴィリルに惚れてるわけじゃないのと同じことです。

 フロエが『好き』ってどういうことかをアーエルに説明したけれど、アーエルはよくのみこめてない。これは、アーエルがいずれ本当の『好き』を学ぶことになるという前フリだと思うのです。つまり、『好き』ってこれこれこういうことなんだよ、と言葉で説明すれば「分かった!」ってなるようなものじゃない。フロエだってアーエルにキスして、かぎられた具体例を挙げることでしか教えられないわけだし、アーエルはそれを聞いても別に理解したとは思えない。教え方が間違ってるからです。そもそも、『好き』ってなんなのでしょうか。

 ひとつ思いつくのは、好きっていうのは「選別と排除」ってことじゃないかということ。誰かを好きになるということは、他の誰かを好きにならないということ、別に複数を同時に好きになったとしても、人類皆が同じくらい好きというわけじゃないだろうから、同じことだ。

 たとえばアーエルが、ネヴィリルが「シヴュラ・アウレアだから」好きだとする。その場合、仮に、シヴュラ・アウレアよりも凄いシムーン乗りが出てきたら、そちらに乗り換えることになるだろう。それは、好きっていわないんですよ。たとえば一般に、あなたの好きなところは美人なところだ、だからもっときれいな女の子がいたら乗り換えるけれども、今のところはあなたが好きです、と告白されてOKする女がいるかということ。普通は、もっと他にもきれいな子はいたとしても、あなたが好きです、っていうのが好きってことでしょう。逆に、ネヴィリルがアーエルを求めてるのは、まるで「アムリアのよう」だからだとする。その場合、よりアムリアに似た人が出てきたら……という展開もできる。

 他を排除して他ならぬその人を選択するっていうのは、考えてみると不思議なことだ。そういう状態が、今はまるで別の方向を見ているような噛み合わない二人に、仮に起こるとしたら、それはどうやって、なのだろうか。そこが、他のどのカップルにもない、アーエルxネヴィリルの見どころだろうと思ったわけです。
関連タグ: シムーン 百合

[感想] ストロベリー・パニック 第13話 「潮騒」

夜々&光莉

 剣城要は危険だ=地球温暖化現象並みの常識

 ってことでOKですか?この人よそでもこんなことばっかりしてるの?そんなにテクニックに自信があるなら、是非私も誘ってください。それはさておき、おっぱいポストの薔薇水晶といい、悪役が濃すぎてメインがかすんでみえるスピカ編です。

 またしても光莉を取り逃がすという失態を演じつつ、それでいて対天音さまにおける潜在的切り札ともいえる夜々ちゃんを何気ない一言で扇動するなど、悪役二人組のその底力には、まだまだ計り知れないものがあるように思います。

 常識を疑えというのは分かりますけれども、光莉が怯えてるのは剣城さんに犯される!と思ってるからで、別に常識とは関係ないのじゃないでしょうか。「月がとっても蒼いから」で「へえ〜いかにも夏目漱石らしい逸話だな!」とか感心していた私はどうすれば。「私が本気を出せば……」とかのたまっておられたからには、今後に期待してもよいですよね?

 それはそうと、またもや剣城さんに体を狙われたにもかかわらず、数ショット後には天音さまと海辺でウフフアハハしている光莉の図太さも大したものです。雨宿りの洞窟で濡れた服を脱いで急接近、
「天音先輩の体、あったかいです……」
「フフ、そうかい?もっと近づいてごらん、風邪を引いてしまうよ……おや、光莉の心臓がドキドキいっているね」
「あ、天音先輩、そんな……」
なベタな展開にならないところにストパニの限界と可能性をみた。光莉は天音さまのおかげで何度も襲われてるわけですが、あんなときエトワールさまなら、エトワールさまなら、魔眼の力だけであいつらを黙らせてくれるのに!スピカの王子様ってば馬が居ないとかっこつけてるだけでマジ使えない。夜々ちゃん贔屓のせいで天音さまへの目がついつい厳しくなってしまうのであった。

 そしてきわめつけに、光莉のデート中延々と想い人のボタンをひねくり回していた夜々ちゃんに、桜貝なんておそるべきお土産をもってやってくる光莉。そんなヒワイなもの持ってこないでください。案の定、何かのスイッチが入ってしまう夜々ちゃん。ズッキュ〜ン!「私はこんなのより、光莉の桜貝が欲しい!」とはさすがに言わないまでも、光莉の細い体を抱き寄せ電撃キッス。目に涙をためて、桜貝を取り落とす光莉。桜貝。桜貝。桜貝……っていうか泣くほど嫌なの!?どう思う?桜貝なんて持ってきておいてキスくらいで泣いちゃいましたよ。最近の天然悪女ってばレベル高い……

 というわけで今回の結論。ちらっとでもいいからエトワールさまを出してください!
関連タグ: アニメ ストロベリー・パニック 百合

[感想] シムーン 第13話 「理(ことわり)」

アーエル&ネヴィリル

 言葉責めだけでシヴュラ・アウレアを失神させる女アーエル。

 しかも、ショックで寝込んでいるのに、わざわざ窓から侵入してくる。相手に一切距離を置かせず、踏み込んでこようとする。傷つけず、また傷つけられずに他人と接することのできる距離を心得ることが、大人になるということだとするならば、確かに彼女は大人ではないのだろう。

 作画に力入りすぎて怖いネヴィリル様の顔とか、アーエルのピンポイント精神攻撃について書くのも楽しそうだけれど、今回はせっかくこれまでの人間関係を整理する手がかりが与えられたので、それらをまとめてみる。

■アーエル-リモネ
 リモネはドミヌーラにキスした後に訊ねる、「"好き"って思った?」と。これってたぶん、いわゆる「私のこと好き?好きならキスしてよ」っていうパターンの真逆を行ってるんだろうなw

 「好き」だからシムーンに乗らないときもキスしたくなる、のではなくて、逆にそんなふうにキスするのが「好き」なんだと、逆立ちした理解をしてしまっているらしい二人。ドミヌーラは「子供ねえ」くらいで(内心興奮していたとしても!)ほほえましく思えば済むとしても、ネヴィリルの場合はそうもいかなかった。アーエルが、フロエの語るような「好き」を分からないままということは、結局のところアムリアを失ったネヴィリルの痛みも分からないということだからだ。それなのに「死んだ恋人より私の方がいいよ」と言われても、やはりにわかには受け入れがたいものがあると思う。

 それでも、誤解したままでも相手にキスをしにいくのは、フロエが言う意味とはちがうにしても「好き」ってことだ。それに、一緒に誰よりも高く飛びたいのに、ネヴィリルは好きな人が死んじゃったから傷ついて落ち込んでるんだ……それならあたしが!っていうアーエルなりの考えも分かるんですよね。ただパラ様の内面が乙女だとするならば、ネヴィリルは良くも悪くもフロエ以上に女なので、夢見るアーエルにとっては扱いが難しいところなんじゃないかと。

 考えてみれば「恋愛」というのは後から学習するものなのであって、誰にもアーエルのような時期があったはずだと思うのですが、こういう子に分かってもらうにはどうすればよいかというと……要は「誘惑する」しかない、自分から。誘惑することは、恋愛の規則を教えること。いくら誘っても、何も感じてもらえなかったらダメだけどwアーエル的にはフロエじゃダメだったそうです。

■ネヴィリル-カイム
 百合姉妹、とりわけカイムが気になって仕方ない。カイムはあの夜の事の真相を突きつけられ、その一方でアルティはあくまでも姉に拒まれたという意識からか、二人の距離はさらに広がったようでもある。ただ、カイムが一方的にアルティを拒絶するような関係ではなくなり、むしろ「何を考えている?」との問いかけに「姉さんとちがうこと」とアルティが応じた辺り、変化の兆しは見て取れる。

 認めたくないことから逃げるために、最も近しい相手を拒むカイムとネヴィリル。生々しい悪夢によって、アムリアの死を何度も追体験していることが見て取れるネヴィリルにとっては、最愛のパルの死という記憶はいつも新しいので、時がたてば自然に薄れていくだろうというのは楽観でしかない。ちょうどカイムが、自分の内に深く根を下ろした罪の意識から逃げられないでいるように。

 とりわけ今は戦争をしている。ただ自然に変わってゆくのを待っているだけでは、コール・テンペストのレギーナでもあるネヴィリルの脆さは特に、命取りになりうる。

■アーエル-パライエッタ(アーエル-アルティ)
 ここが、今回たぶん一番重要なところ。

 アムリアの死を受け入れることができないでいるネヴィリルに対して、アーエルとパライエッタがとる対応は対照的かつ両極端だ。強硬な手段でネヴィリルの心に踏み入ろうとするアーエルと、あくまでも庇護しようとするダメなママ・パライエッタ。皮肉ってはみたけれども、どちらが間違っているともいえないし、もちろんどちらが正解だともいえない。やり方は極端だけれど、こうやってちゃんと関わり続けてくれる人がいるネヴィリルは羨ましいなと、個人的には思ってしまうほどだ。でも、結果としてネヴィリルが立ち直るとしても、それってアーエルやパライエッタのやり方が正しいか、正しくないかなんて関係ないでしょう。最終的には、ネヴィリルが強くなるしかないわけで。

 ただその意味において、ストーリー的に視点がアーエル寄りにみえるのはたぶん、アーエルのほうがパライエッタよりも、ネヴィリルの強さを信じてるからだと思う。パライエッタは基本的に、ネヴィリルをスポイルしてたパパとあまり変わらない。同じ意味で、アルティも姉を信じてはいなかった。信じるよりは庇護しようとする。愛情ゆえに、だから仕方ない部分もあるけれど。

 その点、アーエルは、ネヴィリルに対してもう一段上のレベルを要求していて、それが信じるってことだと思う。「守ってあげる」じゃなくて、「もっと強く(なろう)」なんだなあと。「一緒にドアを開けよう!」とかすっかりヒッキー扱いだけど素敵やん。

■アーエル-アムリア
 アーエルはネヴィリルの強さを信じてるし、二人でなら誰よりも高く飛べる、何でもできると信じている。信じることに根拠や証拠はいらないから、それはいいとして、ネヴィリルはどうか?

 前回ラストの、ネヴィリルのセリフがこういうものだ。「あなたの目に映っているのは、永遠に歳を取らないあなた自身の姿。私じゃないのよ」と。これを踏まえて13話をみると、ネヴィリルは、アーエルのようにまっすぐには自分を信じられなくなっていることが分かる。「私」というのは、アムリアを失って、そのことを受け入れることもできないでいる自分、少なくともネヴィリルを信じて「あたしたちならできる。誰より高く飛べる」と繰り返すアーエルにはみえていない「私」だといいたかったのだろう。アーエルの信じているネヴィリルの強さは、実はアーエル自身の投影でしかないのだと。でも、ネヴィリルの知っている「私」が、本当のネヴィリル自身かどうかなんて分からない。もしかしたら、アーエルのほうが正しい可能性だってある。アーエルは、神を信じないがパルを信じているわけだ。

 かつてアーエルと同じくらい強く、ネヴィリルを信じた人がいた。それがアムリアだ。アムリアが「私たちならできる」といった言葉を信じて、ネヴィリルは翠玉のリ・マージョンをやった。信じてくれるアムリアに応えようとした。でも、応えられなかった。結果、アムリアは死んだ。

 だから、アーエルが「絶対にできるよ」といくら繰り返しても、ネヴィリルはもう信じたくないのだ。アーエルにアムリアの面影をみてしまうからこそ、だ。だから怖い。アーエルに求められることも、たぶん自分もアーエルを必要としてるということも。ネヴィリルがこれを受け入れて、アーエルが信じてくれるのと同じように、同じだけの信頼を返せるようになるかどうかにかかってくるのだと思う。

■アーエル-ネヴィリル
 激しく拒絶するネヴィリルと、とことんまで容赦がないアーエルの言動が正直どっちもどっちに感じられるせいで、安直に"ネヴィリルを「教え導く」アーエル"という構図になってしまわない点に好感がもてます。「お互いに強くなれてこそ抱きしめ合える」というネヴィリル自身の言葉が、そうでなければ意味を失ってしまうから。

 パルを拒絶することはシムーンを拒絶すること、というのは、改めて言われると意味深いと思う。それで、翠玉のリ・マージョンが、シムーンによって描く究極のリ・マージョンであるというのは分かるけれども、"最後の"軌跡を描くというのはどういうことなのだろうか?何にとっての最後かということだ。
関連タグ: シムーン アニメ 百合

[メモ] アーエルとネヴィリルをつなぐもの 追々記

Kazu'Sの戯言Blog(新館) シムーン アムリアの信仰
http://kazus.blog66.fc2.com/blog-entry-271.html

 改めてトラックバックいただきました。

 図が書けると分かりやすいのですが、書けないのでバラバラに図式化してしまうと、現時点で読み取れる範囲ではこういうことかなと。

アムリア‐アーエル(もっと強く)
アムリア‐ネヴィリル(巫女としての誇り、信仰)
アーエル‐ネヴィリル(???)

 これらが重なり合うようにして、三角関係を形成してると。で、噛み合わなさという点からいえば、上記のどの組み合わせでも結局のところ噛み合ってはいない。それで、私が問題にしたのは一番下の関係性だったわけです。

 さらに西村監督のコメントを参照してしまうと、アムリアに対比されたアーエルとネヴィリルの共通項は、「先の事を決められないでいる優柔不断な子」ということなのだそうです。では、なぜ二人は先のことを決められないでいるのか?という疑問があって、一応、仮のものとして「神への疑い」というキーワードでくくってみようとしたのですが。

>「依存では本当に強くはなれない」と考えているように思えます。信仰を依存と解釈してはいけないという方向なんでしょうか?



 この部分がよく分かりません。ネヴィリルが「神の意志すらどうでもいい」と言うにいたった過程を [メモ] アーエルとネヴィリルをつなぐもの では考えたつもりなのですが、信仰=依存と解釈してよいかということであれば、私はそうは思いません。神の絶対性を信じるということは、誰かに依存して強くなれないこととは別のことだと思いますね。むしろ、強さが必要でしょう?

 もしかすると、ネヴィリルが今何を求めているか、ということなのでしょうか。

 そこで(?)ですけれども、

>誤解を恐れずに言いますが、新しい形の信仰が掲示されるのではないか? というのが僕の予測です。それは当然両翼のということなんじゃないかなと。



これは面白いアイディアですね。前のエントリを読んだ時点で、薄々そうなのかなあと思っていましたが、もう一方の翼がもってこられるのかと思っていたら両翼になると考えておられるわけですか。一瞬「両翼=より完全な神?」というイメージで違和感をもったのですけれども、ただテンプスパティウムは宮国固有の神、しかも実は敵国の神と同一の起源をもつ可能性があるとされている神なのですから、いかにもありうる話です。

 あえていえば、オナシアは永遠に性別化されることがないとされていますから、女性といえば女性なのでしょうが、両翼といわれてまず連想するのは彼女かもしれません。

 ただ神の代わりに神、神の代わりに相対主義をもってくることにあんまり意味を見出せないので、何かこうとんでもないモノが登場して「えーっ!?そんなのありかよ!」っていうのを非常に期待してしまうわけなのですが。
関連タグ: シムーン

[メモ] アーエルとネヴィリルをつなぐもの 追記

Kazu'Sの戯言Blog(新館) シムーン 信仰と世界
http://kazus.blog66.fc2.com/blog-entry-270.html

 「アーエルとネヴィリルをつなぐもの」に対してトラックバックをいただきましたので、ご指摘の点について簡単に。

 「シムーンにかんする妄想」 の初めのほう等を読んでもらうと分かるかと思いますが、アーエルとアムリアを近似と理解する方がよいという点には私も同意です。とりわけ、ネヴィリルに対する位置関係としては特にそうでしょう。

 ただもちろん、非常に似ているということは同じということとは違いますから、両者の差異がどこにあるのかという問題、そのズレの部分が今後のポイントのひとつであり、個人的には特に注目している点でもあります。

>1話でのネヴィリルとアムリアの会話は、明らかに信仰を重視するネヴィリルに対し、それ以外のものを重視するアムリアという図式があったように感じるからです。


この点に関しても、本編を見るかぎり、概ね同じような印象を私も受けていました。ですから痛いところをつかれたなという感じなのですが、実は引用してもらった部分については、サウンドトラック封入のブックレットにおける、西村監督のコメントに依拠してます。以下。

>ネヴィリルとアムリアは、巫女としての誇りを持っている人なんですね。アーエルは、「誇り」っていうほど重いものを感じていない。


>(アムリアについて)自分こそが最高の巫女になるんだと、はっきりとした目的意識を持ち、手段も問わず努力もいとわないというすごく意志の強い人です。


 さらに、第一話におけるアムリアのセリフ、

「伝説のシムーン・シヴュラたちは、翠玉のリ・マージョンを成功させて、テンプスパティウムのお傍に仕えたというわ。成功させれば、私たちもそうなれる」


この辺りから推察するに、アムリアにとって「もっと強く」とまっすぐに強さを求めることと、神への愛は別に矛盾してなかったんじゃないかと思います。少なくとも、「ネヴィリルの目からすれば」、アムリアに信仰心を前提しても的外れというわけではないと考えました。

 とりわけ、リ・マージョンは神に祈りを捧げる行為と位置づけられるものであり、もっと強く(祈る)、そしてそれを神に捧げるということによって、アムリアがみせていた何らかのいらだちを突破するための奇跡が起きると、彼女から信じられていた節があります。そこにおいて、彼女の信仰のあり方に、ネヴィリルの姿勢とは明らかに違うものが見て取れる、ということはいえます。神を愛するとは具体的にどうすることなのか、という点でアムリアとネヴィリルの間に相違点があったのかもしれない。この辺についてはまた改めて考えてみます。

 とはいえ、アムリアはネヴィリルの行動を説明する上で超重要人物にもかかわらず、本編でまだほとんど語られていないという点で、これらの考えが憶測の域を出ていないのは確かなことです。

 簡単にといいつつ、全然簡単になってないwテンプスパティウムとオブジェの形態に関しては、とても興味深いですね。私はテンプスパティウムに対しては厳格な「父なる神」のイメージを持ってまして、シヴュラたちの母に位置する存在は何なんだろうとか考えていたので、んん?という感じなのですが、もう少し詳しく聞きたいところです。
関連タグ: シムーン

PS2 「シムーン(仮題)」

シムーン(仮題) - / ファミ通.com
http://www.famitsu.com/game/coming/2006/06/19/104,1150646170,55121,0,0.html

 ホントにPS2ゲーム出るんだ……これはもう舞乙格ゲーに加えストパニゲーム版も買うしかないなwどれも微妙っぽいが。

 この記事から読み取れる範囲では、主人公はアーエルであること、ゲーム版オリキャラがいるらしいこと。あと、「好感度を上げられる」って、場合によってはアーエルラブなパラ様とか、「リ・マージョンしよ」って迫ってくるカイムが見れたりするってこと?で、EDでは二人で手をつないで泉へ行くわけですね。ガクブル。でもデレデレなネヴィリルは見たいよ。

 微妙とはいいつつも、主人公に取って付けたような男キャラを引っ張ってこない辺りは好感が持てる。ゲームは、アニメ・漫画と比べ、一般・エロ問わず長く百合好き極寒の地とされてきた。それが、シムーン&ストパニという百合アニメのゲーム化という局所的な出来事によって、風向きを変えるってことは……ないか。そうとは言い切れないんじゃないのとも思うけど、それも実際出てからの話だよね。
関連タグ: シムーン ゲーム

[メモ] アーエルとネヴィリルをつなぐもの

 ついに一神教が根づかない日本の社会で暮らす私には、アングラスの死やカイムの葛藤を理解しにくいというか、いまいちピンとこない面がある。かといって、こうした一神教的世界観、宗教観を外してしまうと、この作品は理解できないとも思う。

 適当にググってみると、こんな文章を見つけたので引用させていただく。

http://yohann.egoism.jp/home/archives/2006/05/post_17.html
>神と言っても、一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)における神と、多神教的世界観における神では意味がまったく異なるのは、このBlogでも何度か説明したとことと思う。一神教的な神とは概念的な絶対性のことだ。神は存在するかしないか。神は正しいか否か。これらの問いは、一神教徒の前では根源的に無意味だ。考え方がまったく逆で、「絶対的に正しい何か=神」という図式だ。

 昔、デカルトの『方法序説』における神の証明を読んだとき、めまいを覚えたのがまさにこの点だった。彼はそもそも多神教的な人格神など想定していなくて、神は概念的な絶対性・完全性なのだ。神は否定しえないのではなくて、逆に絶対のもの、否定しえないものこそが神なのだ。

 上のような考えを踏まえていうと、現在のところネヴィリルとアーエルを関係づけているものは、決定の留保ということの他に、テンプスパティウム神への疑いではないだろうか。というか、二人が留保しているものこそ、その疑いではないのかと。

 アーエルの背景については未だ不明な点が多いので今回は措くとして。

 ネヴィリルの場合、最愛のパル・アムリアを翠玉のリ・マージョンの失敗によって失うという出来事が大きかった。この出来事の意味を考えると、まずネヴィリルもアムリアも、神を深く信仰する巫女であり、とりわけアムリアにとって翠玉のリ・マージョンは、神に捧げられるものとしてあった。にもかかわらず、アムリアは死んだ。

 ネヴィリルは第12話でアルティに対して、「死をおそれない人なんていないと思うけど」といっているが、なぜ死んだのが、リ・マージョンの失敗の原因を作った自分ではなくて、アムリアの方でなければならなかったのかを、かなり考えたはずだと思う。リ・マージョンに失敗したのはネヴィリルの一瞬の迷いが原因だし、アムリアは迷いなく神を愛していた。それなのになぜ、と。それが、自身の神の絶対性に対する疑いに結びつく可能性は、容易く考えられる。

 たとえば、禁忌を破り罪を犯していると告白するカイムが、リ・マージョンによって救われる。あのシーンは、「ぼくは悪くない(?)」という否定または自問を伴った下降の運動から上昇に転じており、救済のイメージが与えられてると思う。その一方で、敬虔な巫女であるアングラスは、神への愛において、多くの命を巻き添えにして無惨に死ぬわけだ。

 さらに国家のレベルでみると、ヘリカル・モートリスという資源が発掘されるのは宮国だけであるという事実が重要だ。和平会談に臨む宮国の議員たちは、宮国のためなら神は喜んでお隠れになるだろうなどと勝手な言い分をつけて、自国の神を敬わない態度をとる。そんな彼らの動かす国が、神の恩恵を独占する一方、おのおのに同じ神を信仰しているだろう諸敵国は、それを受けられず困窮の度合いを深めてゆく。敵国の兵士たちはそれこそ虫けらのように殺され、命を落としてゆく。

 極端なたとえ話をすると、たとえば強盗が銀行に押し入り、持ち込んだ銃を何らかの理由で乱射したとする。その場合に、撃たれて死ぬ人間と、死なない人間とに分けられるわけだが、これを分けるものは何だろうか。善い人間、神を信じている人間は生きのびるが、悪い人間、または信仰をもたない人間は撃たれて死ぬだろうか?そんなことはない。

 どの人間も等しく、善悪や信仰などとは無関係に死ぬし、生きのびる可能性がある。そこには残酷なまでに偶然しかない。「なんでこの人は生きてるのに、あの人は死んだの?」というところに、絶対性というか必然性を、意味を見出せるか、信じられるかということだ。

 この世界の神はなぜ、アムリアやアングラスを死なせたのか。神のためなら殺戮や、破壊行為をも厭わない人々を。それでいて、敵の目を見て恐れを抱いたネヴィリルや、罪を犯したと思っているカイムは生きている。つまり、神がなぜ同じように信じている、ときには信じていなかったり、裏切っていたりもする国や人間を救ったり救わなかったりするのか、問題なのはそこだ。

 ネヴィリルは、「今の私には神の意思すらどうでもいい」と、審問で発言している。神の意思を前提してすべてを説明するには、目の前にある状況が酷すぎる。戦況は悪化してゆく一方だ。神の意思が、ネヴィリルの目には今や映らない。そこにあるのかどうかも分からない。だから、神の巫女たる自分たちのしていることが正しいのかどうかも分からなくなった。そういうふうに考えていても、これまで根拠にしてきたもの、絶対性を疑っていても、自分はシムーン・シヴュラたりうるのだろうかと。

 ただ、そんな彼女への皮肉なのか何なのか分からないが、アーエル=「神への愛」をその名にもつ少女が、今のネヴィリルのパルであるわけだ。少女は神に祈りもしなければ、自分は巫女ですらないと言う。そして、アムリアとでさえできなかったことが、自分とならできると言う。神を信じてないのに、そしてリ・マージョンは神に祈りを捧げる行為であるはずなのに。ネヴィリルが、アーエルと関わっていくことでどう変わっていくのかが、今後の焦点となってゆくだろう。

 私の予想では、ネヴィリルは神を捨てるのではなくて、むしろ以前とはもっと違うレベルで、神への愛を再発見するんじゃないかなあと思う。単に自身の信仰を捨ててしまう話なら、アーエルが「神への愛」なんてご大層な意味を担って現れるはずはないから。その愛は、別にテンプスパティウム神に象徴される神そのものへの愛じゃなくてもかまわないのだと思う。
関連タグ: シムーン

シムーン オリジナルサウンドトラック1

「Simoun(シムーン)」オリジナルサウンドトラック I / TVサントラ、石川智晶 他

 アニメのサントラ買って良かったと思ったのは『LOVELESS サウンドトラック』以来かもしれない。基本的に、サントラは好きな作品の関連グッズのひとつとして買うという感覚なのですが、たまにこういう、単品ですごく気に入ってしまうものがあるので困る。私がもともとクラシック好きってのもあるかもしれないけれど……とにかく音楽担当の佐橋俊彦氏の名前は覚えました!

 BGM等の音楽単体でもこれだけの完成度って凄いな。音が厚い。単に場面場面を盛り上げるための単発的な曲じゃなくて、ある程度の幅をもって、世界観を表現するような曲が揃ってると思う。曲調が一貫してるというのもあるが、聴いてて没入できるんですよね。

 戦闘シーンで流れるあのピアソラ的なタンゴのタイトルは「妖艶なる絆の響き」っていうのか。確かにイメージとぴったりだ。非常に印象的な、いわば官能的な曲。敵の大群に取り巻かれたネヴィリルとアムリアのキスシーンでこの曲が流れ始めたとき、「なんだこのやばいアニメ……」ってゾクゾクしたのを覚えてます。録画を見始めたときは、ラーメン食べながら見てたのにwあのシーンで呆気にとられたって人はけっこういるんじゃないかな。

 他には、「美しき巫女の涙」「慟哭コール・テンペスト」「特別な未来の為に…」辺りが特に気に入ってます。あまり繰り返し聴いてると、本編での印象が薄れてしまいそうな気がするので、しばらく封印しておきますw

 それはさておき、封入されているブックレットの内容がなかなか充実してます。西村純二監督と、佐橋氏へのインタビューが収録されていますね。個人的に興味深かったのが、アーエル-ネヴィリル-アムリアの三角関係についてふれた監督のコメントです。アムリアが単なる死にキャラで終わったらどうしよう、というのが最大の不安要素だったので……今後、アーエル&ネヴィリルのパル関係に、何らかの形で彼女の存在が影を落としていくと考えてOKですよね。

 この物語における三角関係の錯綜ぶりには注目すべきものがありますが、中でもこの主役たちの関係が特異である理由は、関係の項のひとつに死者を含んでいるという点にあります。私はここにとても惹かれていて、まあ本編でもテーマのひとつとして扱ってくれないかなあと期待してたわけです。その点きっちり描かれそうなので、楽しみだ。この辺りにかんしては、忘れなければそのうち整理してみたいと思います。
関連タグ: シムーン 音楽

「シムーン」キャラクター人気投票など

 BIGLOBE特設サイトにて、「シムーン」キャラクター人気投票が始まった模様。
http://character.biglobe.ne.jp/special/simoun/camp01/form01.html

 私は、特に迷いもせずネヴィリルに投票。パラ様とか百合姉妹とかアムリアとか好きなキャラは他にもいるけれど、エロスとかエロスとかエロスの差で。反論は受け付けませんよと。

 投票ページの趣味の欄が意外に普通っぽくて笑ったが、よくみると公式サイト
http://www.simoun.tv/
のキャラ別紹介ページに、各キャラのスリーサイズ(!)含むプロフィールが追加されてたのですね。前はなかったよね?

 ドミヌーラとネヴィ&パラ辺りが1歳しかちがわないなんてありえないよ!「私は永遠の19歳なのだ」ってオチじゃあないだろうな。

 アムリアが「17歳(当時)」ってのは判断の難しいところ。シムーン・シヴュラとしては当然ネヴィリルと同期のはずだから、せめて年上じゃなくても同い年と考えたいのだけれど(だってアムリアの方がお姉さまっぽいじゃん)。ただ初対面のアーエルとのやり取りから、ネヴィリルはアムリアの死の直後、すでに18歳になっていたと考えるのが妥当なので、ネヴィリルの方が誕生日を早く迎える同い年、ということになる。同い年だと前提するとね。

 このちょっと無理のある年齢設定については、こう考えてみるのはどうか。つまり、アムリアが死んだ年齢と、アーエルの年齢において、二人のキャラを符合させていると。正直、身長もネヴィより高くエロ体型のアムリアと、お子様体型のアーエルを比べるのは自分でもどうかと……でもそういう問題じゃないから。なんていうか、この二人はネヴィリルを介した対比の関係にあると思うのですよ。
関連タグ: シムーン

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 舞-乙HiMEドラマCD 第二弾です。結論からいえば、「トモエファン垂涎」のアオリ文句に偽りなし。

 最初にいっておきますが、第一話のナオチャンvs.トモエ様は神です。新旧S女夢の対決ですね。以下、トモエ登場回のみ感想。

■第一話 シマシマ最強伝説

 前にどこかで、「最終回後、罰としてナオチャンに縞々シャツを着せられ泣き出しちゃうトモエが見たい」みたいなことを言ってたんですが、卒業記念舞闘前に、すでに実現していたとはw

 トモエ様がナオチャンを「ジュリエット」と呼び捨てにしているんですが、これはどういうことなんですかね。ナオチャンは確か本編第2話で、シホに向かって「ジュリエットと呼ぶな」と名前で呼ばれることを拒否しているんですが、これは彼女が、ヴィント市の裏社会で「シマシマ団のジュリエット」で通っている、その名を馳せているからだと思われます。だから、むやみにその名で呼ばれたくないと。まあ、この設定自体が「ナオ」と呼ばせたいスタッフの思惑によるものなのでしょうが。

 しかし、それを踏まえて人前では「ナオお姉さま」と呼んでいるトモエが、「チッ、ジュリエット!」と、陰でその名前を呼んでいるというのはどういうことか。しかもナオに脅迫される前から、すでに敵意むきだしという。

 トモエはおそらく、ナオチャンの裏の顔を知っているんですね。ここで関連性が考えられるのは、ミーヤの男友達とされているチンピラです。彼はアリカの制服を転売したためにナオにボコられてますから、そこからミーヤを介してトモエに話が伝わっていてもおかしくない。あれはミーヤの独断だったにせよ、子分の尻尾をつかんで邪魔してきた相手には間違いないわけだから、それゆえの「バチバチィッ!」なんでしょうねwまあ、背景のよく分からないトモエのことだから、もともと地元の裏社会の事情に通じてたとしても驚かないけれど。

 縞パン穿かされるときに、路地裏で、
ナオ「ほーらっ!もたもたしてないで早くそのエロパンツ脱ぎな!」
トモエ「わ、わかってますわよ……」
ナオ「なんなの?恥ずかしいの?脱げないならあたしが脱がしてやろうか?」
トモエ「くっ……脱げばいいんでしょ脱げばーっ!(ずるっ)」
ナオ「うわーおw」
っていうようなやり取りがあったに違いないと妄想。

 っていうかトモエ様はマルキ・ド・サド著『悪徳の栄え』の主人公・ジュリエットと見まがうばかりのサディストのはずなのに、チエ・ナオ・シズルと年上の女から変な羞恥プレイを強要されまくりなのはなんでですか?しまいには、アリカ・ニナにまで弄られてるし。

 スカート自分で捲り上げて、縞パンをアリカに凝視されながら、
アリカ「けっこうかわいいね!そーれっ」
トモエ「かわいくなんかありませんわよっ!!」
ってのがすっごく萌えたんで、OVAじゃ意外に仲良くなってる二人が見たいなあと思ったりするんですが、無理だろうな……トモエ様悔し泣きしちゃってるけれど、アリカとニナが急いで縞パン探してくれてる間、ずっとパンツ晒しっぱなしだったの?是非とも見たかった。

■第三話 おねえさまへ……

 なんといってもりえりえの演技力なしには成り立たないエピソード。聴いててちょっと怖くなるぐらい凄い。

 シズルとトモエのエッチのバリエーションを追求しつつ、実は中の人の演技のバリエーションを見せてるというか聴かせてる感じ。登場時はデレデレで、はじめは次から次に大人のオモチャをもってくる(最後のは何!?なんで設計図なんか書けるんだ)んだけど、方向性を変えろといわれて、女王様→M女→ヅカ→幼女→老婆(!)と目まぐるしく変身してゆく。引き出し多いけど偏りすぎ。シズルお姉さまからたたみかけるように駄目出しされるたび、凹むトモエのリアクションがまた絶妙。シズルのおおらかな京都弁と、トモエの神経質そうな早口がメリハリになってるよね。

 シズルにからかわれてきりきり舞いさせられている様子が、まだまだ15歳の女の子って感じでほほえましいというかかわいいですよ……他に何ていえばいいんだ。正直エロネタはもうお腹いっぱいですが、この二人の漫才はまた見たいかも。

 ちなみに私は、しいていえばM女派です。「(じゃららっ)お姉さま……悪いわたくしを、ぶってくださいっ」ってやつ。幼女も捨てがたいけれど、女王様は原点ですよね。

 ヨウコ「その叫びは、街中に響いたといわれています」って、なんか伝説にされちゃってるし、もう目も当てられない。

■第四話 乙女の悪戯

 このエピソードは、冒頭にちらっと登場して、ニナにネタフリする役回り。
「かわいかったわよ〜、特に4ページ目とか16ページ目とか!」
ってニナちゃんを苦しめて楽しむのはいいけど、勝ち誇ってガラガラを振るなと。赤ちゃんプレイに関してはぼろぼろとボロ出してるよねえこの人。見ててつらくなるけど、性癖ってそういうもんだよね。

 それにしても、オッサンのセルゲイと「ツボ」が一緒ってのはどうなのかなあwニナの写真見ながら、
「ちょ、これ……ただの洗濯板だと思ってたら、ニナさんってばけっこうスゴイのね。悔しいけど、いい仕事してると認めざるをえないわ」
とか独り言いいながらドキドキしてるトモエちゃんが思い浮かんで仕方ないんですが。

 全体として、この愛され(弄られ)っぷりならOVAの出番もあまり心配しなくていいかなという気になりました。いいよね。それだけが今おそれていることなんですよ。

 他にも聴きごたえのある、またはいろいろと妄想の余地のあるトラックはあったんですが、個人的にはトモエ分目的で買ったので、ここでは狭く深くってことでポイントを絞りました。まあ簡単にまとめると、サンライズはトモエ様のシマパンを商品化するべきだってことですね。
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[感想] ストロベリー・パニック 第12話 「夏時間」

静馬&渚砂

 一転してアグレッシヴなエトワールさま株急上昇!

 「私の渚砂ちゃん」発言にカッチーンときてるわ、渚砂に接近した天音を目で威嚇するわ、首輪がわりに手首に巻かれた玉青のリボンを速攻奪いとりにかかるわで。

 いるよね、普段はボーッとしていて何を考えているのか分からないのに、こういう局面になると突然いきいきしはじめる人って。まあ、惜しくも寸でのところで、渚砂の貞操は守られてしまったわけですが。

 大体、キスすら初めての相手を、その日のうちに押し倒すかなあ普通……エトワールさまは普通じゃないからいいのか。

 下世話な言い方になるけれど、今のエトワールさまと渚砂は、一度関係もったらそればっかりになっちゃいそうな予感がする。共通の話題なんてなさそうだし、人として対等でもないじゃない?密会→情事→密会→以下同様なただれた不倫関係みたいなものを連想してしまうので、今回はキスまでで済んでよかったのかもしれない。と自分に言い聞かせてみる。

 でもエトワールさまが渚砂にゾッコンの間に限れば、勉強教えたり花の手入れしたりして案外楽しくやれそうでもある。「あなたで最後かもしれない」とまで言わしめたわけだし……渚砂かわいいもんなあ。単なるアホの子じゃないところが良い。だけど、エトワールさまの熱意だけにかかってる関係ってのもねえ。飽きられたらポイじゃないの?と。逆にいえば、玉青は順番待ちしてればいいんだよってことになるけれどw

 少なくとも、まだまだ人間関係を掘り下げるイベントがほしいところだけど、それは今後に十分期待してよいでしょう。エトワールさまを一気に萎えさせた回想シーンの彼女は誰なのかも気になります。

 ていうか、あの学校のプールってなんで海につながってたの?服着たまま水中キスなんて、もはやお約束なんだか何なんだかよく分からないですよ。
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[感想] シムーン 第12話 「姉と妹」

カイム
ネヴィリル&アルティ

 やった。「次回予告でアルティが口許を拭っているのは、カイムに噛まれたから」って予想が当たっちゃった。なんとなく、踏んづけられた犬みたいな目つきをしてたからなあ。アイキャッチは事後っぽいし、血なめて「同じ味だ」なんて言うし、この姉妹やってくれるw

 「近親相姦は大罪」というカイムの言葉に関してだけれど、そもそも結婚も妊娠もしない姉妹間でのそれは、近親相姦が多くの文化で禁忌とされる諸理由をふまえるに、それ自体としてはあまり問題にならないと思う。近親相姦が、普遍的な自然の要請で禁止されてるとか思うのは早計で、乱暴な言い方をすれば、近親間の結婚が、共同体(家族)間の交換の契機を損ねてしまうという、むしろ文明の条件としての理由からというのが大きいでしょう。

 ここで問題を複雑にしてるのは、アルティとカイムがそのうち泉へ行き、少なくとも異性とはなりうるという点。さらに重要なのは、アルティは単に姉への無償の愛情やいたわりから行動しているのに対し、カイムは自分たちの「罪」への意識を、自身の記憶を歪めてしまうほどに過剰に深く内面化しているという点だろう。その結果として、一方的に妹を拒絶しているようにみえる。でも仕方ないんですよ。カイムは「お前が無理やりやった。付け込んだ。ぼくは誘ってない。ぼくは悪くない」と繰り返し否認することでしか、自分を支えられないのだから。それだけ、規範を強烈に内面化してしまっているということです。もっとも規範的な人間が、もっとも狂気にみえるという皮肉も感じます。

 否認することは、否定しつつ認めることだ。カイムの激しい反応は、妹への愛情と、それゆえ自分がしてしまったことへの恐れの裏返しでもあるんじゃないだろうか。アルティは姉にセックスを求めていたわけじゃないのに、カイムは一瞬でもそう望んでしまった。本人ですらなぜやってしまったのか分からないようなことでも「罪」になってしまうし、許されないと思えば逃げるしかなくなる。

 アルティはアルティで、自分が受け入れればいい、強くなればいいというだけで、カイムに事実を直視する強さを要求しない。「姉さんから誘ったくせに、自分ばっかり被害者面しないでよ」とは言わない。それで姉のそばにいられるならと。結果的に、甘えたい人と甘えさせて縛りたい人が依存し合っている感じ。姉と妹というより娘と母っぽいと思いました。アルティの愛は、すべて受け入れることで相手を飲み込んでしまうようなタイプの愛だから。

 にしても、あの状況で「姉さん飛んで!私が抱きしめてあげるから!」は怖すぎると思った。からめとられる!とおびえた姉さんが転落するのも無理はありません。神様は、カイムを罰するよりもリ・マージョンで救ったようですが……

 性別を自由に選べる社会では、泉へ行く前の同性愛は禁忌とみなされえないので、このアニメでは比喩として近親相姦をもってきたとも考えられるけれど、カイムの葛藤はより深刻ではある。キスすると見せかけて噛み付いたときに感じた妹の血の味と、自分の血の味が同じだとつぶやくことで、カイムはラストシーンでもやはり血(縁)には抗えないと、絶望的に再確認させられているからだ。ここに安直な救いはない。

 ところで、カイムとはちがう意味で、「こうあるべき」という自己の姿を強く内面化している人、それがネヴィリル。それがすでに明瞭にあるわけじゃなくて、どこかにあると信じていて、探している人というべきだろうか。ここが次回以降につながっていくと思う。

 自分となら、アムリアとちがってお互いに抱きしめ合える、と無邪気にも語りかけるアーエルに向かって、「あなたが見ているのは本当の私ではない」という意味の答え。ネヴィリルは、アーエルが自分に対して見いだしている強さは投影にすぎなくてネヴィリル自身のものじゃない、(私はあなたとはちがう、あなたのようにはなれない)と暗に告げているのではないだろうか。そして、アーエルもまた、ネヴィリルにとってのアムリア、またはそれ以上のものにはなれない。抱きしめ合うには二人とも強くなるだけではダメで、抱きしめる相手を間違えていたらやはり意味がない。「あなたは強い、私も強い、だから大丈夫」というアーエルの認識と、すでに弱さや葛藤を知るネヴィリルとでは、すれ違っていると。

 それにしても、今回は無駄に暗くて面白かったなあ。というかたまらなく美しい。ただ、美しければそれでいい、が微妙に「戦争なんてどうでもいい」に通じてきてるような気がしなくもないw
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秘密ドールズ

秘密ドールズ(DVD付) 秘密ドールズ(DVD付)
清水愛 中原麻衣、中原麻衣 他 (2006/05/24)
ランティス

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 まあ、見かけたので今さら買ってきました。ストロベリー・パニックED曲です。感想は……

 シムーンOP『美しければそれでいい』のPVも、現役AV女優の女の子を使ってレズっぽい感じに仕上げていて、ある意味凄いなあと思ったんですが、これもなんか凄い。両者ともキスで締めてますし。特に『秘密ドールズ』は、主演の声優が……

 百合が売りのアニメの主題歌では、プロモで体を張らなければならないっていう掟でも作る気なのか。

 たぶんこのPVの場合、キス自体は、それほど抵抗ないんじゃないかなあ。仕事なんだし、よく知ってる相手だろうし。ただ周りに騒がれるという意味で「体を張ってる」感じがするwでも宣伝うまいと思いますよ。数少ない百合メインのアニメなんだから、この調子でDVDも宣伝しまくって売れてくれればいいですけど。

 百合とは関係ないですが、中原麻衣はハーフか何かなの?いつも思うんだけど、日本人離れした顔立ちですよね。背も高いし。私もよくハーフかって聞かれるんだけど、この人に比べたらどうみても日本人です(ryになるだろうな。何か骨格から違う気がするよ。

 これから10分遅れのシムーンを見ないといけないんで、この辺で。
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田中理恵の百人一首

DEARS : 人気女性声優による朗詠CD『田中理恵の百人一首』
http://www.dears.co.jp/1149517800.phtml

 買いました。トモエ様の中の人つながりで。というか、変わったものにはとりあえず惹かれるという。

 内容は本当に、田中理恵さんによる百人一首の朗詠onlyなので。キャラの声で演じられているわけでもなく、素の声ですし。風流だのうとか、りえりえ美声だなとか、ありふれた感想しか浮かばないわけですが。誰をターゲットにしているのかが、いまいちよく分からない商品ですよね。

 しかし!しかしですよ、舞-HiMEプロジェクトのファンならば、違う視点から楽しめるポイントがあります。

 というのは、舞-HiMEの藤乃静留が、好きな言葉として挙げた一首


『玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする』



が、当然これには含まれているわけで。これを、舞-乙HiMEのトモエ・マルグリットの声優さんが詠むというのは、感慨深いものがある……ような気がしないでもなくありませんか?

 聴いてみて、静留はロマンチックだなあと思いました。根が乙女です。しかし、ここまでトモエ様に似合わない歌もありませんね。忍ぶ恋なんて、「何それ食えるの?」ってタイプでしょう。

 だがそれがいい。
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[感想] ストロベリー・パニック 第11話 「流星雨」

夜々

 この夜々ちゃんかわいすぎ。これじゃあ好きな女の子に、「もう!女の子が着替えてるんだから、あっち向いててよっ!」って怒られて「な、なんだよ……」ってなっちゃう小学生の男の子みたいだよ。

 玉青はなんでこんなに変態なのかとか、次回予告のエトワールさまのエロいおっぱいはどういうことだとか、渚砂の後ろ姿から空にパンしたと思ったら、暗転もせず戻ってきてミアトル校舎なんてショットはアリなのか……とか、いろいろ言いたいことはあるけれども、要は、最近ストパニがおもしろい。おもしろくなってる?

 個人的に、エトワールさまがだんだん好きになってきたというのが大きいかも。最初は、初っ端から渚砂のカラダをロックオン!みたいなノリが嫌だったんだけど、意外にまじめにシリアスやってるなあ。互いの気持ちの交錯を、きれいにまとめたラストシーンが良かった。それなのにEDでイチャイチャしてるのは玉青の中の人とw

 それにしても玉青は危険な子ですね。映画『月光の囁き』の主人公ばりに、渚砂のトイレの音を録音しだしたりしないよね……
関連タグ: アニメ ストロベリー・パニック 百合

舞-乙HiME〜乙女舞闘史(仮)

 田中理恵さんの公式サイト (http://rie.bird.to/) の17日付の日記に、この秋発売予定の舞-乙HiME格ゲーの収録について書かれていますね。何となく不安だったトモエ様出演が確定し、PS2もまだ持ってないというのに一安心です。

 何かいろいろ凄いことになっているみたいで……何がどう凄いのか、具体的にはよく分からないんですけどw

 うーむ。あのトモエ様がツンデレ……デレデレ?

 ふと思い浮かんだ。

トモエ様


「……マテリアライズ、しましょ?」

 ぐはあ。自分で妄想しておいて何だけど、確かに凄いかも。しかもマスターに向かって認証を要求してるセリフだと思えば、別に間違ってはいないという(あえて元ネタはというと、「リ・マージョン、しよ……?」byカイム)

 まあ、ワルキューレには残念なことに、認証のキスがいらないんですけれども。こんなに色んな意味で凶悪なマイスターオトメがいたら、国は滅んじゃうっていうんですよ。私がマスターなら仕事しないね。だがトモエ様のためならば、国のひとつやふたつ滅んでも惜しくはないっ!しかもこの画像だと、すでに思いっきりマテリアライズしちゃってる!

 話がそれすぎた。最初に書いたように、私はPS2持っていないのです。ゲームもほとんどやらないしね。だけど、もちろんコレのために買います。買うのって本体だけで良いのかな?ちょっと今からその辺で注文してくる!
関連タグ: 舞-乙HiME ゲーム

シムーンって何?

 シムーン第11話の感想で、「シムーンって何?」という疑問に立ち返ってきたと言ったけれども、それでふと思いついたことがある。

 神の乗機であると同時に悪魔のようにもみえ、またはそのどちらでもないかもしれないという両義的な……つまり、相反する解釈というか意味をあわせもつシムーンのありかたというのは、つまるところシヴュラである少女たちのありかたと、きわめて近いのではないかということ。シヴュラたちは泉へ行く前の、性別化されていない、男でも女でもなく、またそのどちらにもなれる存在だというから。

 フロエの彼氏が「あれがフロエ?」とつぶやくシーンに妙な違和感があったのだけれども、つまりは彼は、シムーンとシヴュラを一時的にせよ重ねているというか……シムーンの悪魔的な姿に、それを操縦するシヴュラの姿をも重ねてみているわけで。これにちょっと違和感を覚えたわけです。まあ実際に殺戮しているのは、神の恩寵を授かりシムーンを操るシヴュラ自身だから、当然といえば当然なんですが。

 だから、第一話での敵国兵士「シムーンは神の乗機なんかじゃない!」を単純に反芻してるだけではない、もう一歩踏み込んだシーンではあるんですね。それは、この宮国の少年兵が、単に得体の知れないモノとしてのシムーンだけではなくて、それを自在に操る生身のシムーン・シヴュラを、短い時間ではあれ親しく知りえたという事情によるのでしょう。それによって、シムーンとシヴュラたちのふるまいが、彼の目に、より強い衝撃をともなって映ったわけです。それは、彼の抱きつづけてきた信仰の対象、そのイメージとは、似ても似つかなかった。

 何だかよく分からない、得体の知れないモノであるというありかたは、シムーンに対してと同時に、それを操るシヴュラたちにも当てはまるということです。

 こう考えると、このアニメがシムーンというモノに対して、執拗なまでにいくつもの方面から光を当てようとするのはなぜなのかということについて、いくぶん理解が進むように思えます。
関連タグ: シムーン

舞-乙HiME DVD第7巻

http://product.bandaivisual.co.jp/web_service/images/b_image/BCBA-2424.jpg

 『舞-乙HiME』DVD第7巻ジャケ絵にトモエ・マルグリット!

 しかし棚をよく見たら、まだ3巻までしか揃ってないという……使えないゴミクズでごめんなさいトモエ様orzとりあえず7巻から先に買います!

 でもなんでミドリちゃんとマシロ?
関連タグ: 舞-乙HiME

[感想] シムーン 第11話 「共同戦線」

ネヴィリル

 内容的には、第一話から一周して原点に戻ってきたという感じの回。けれども、第一話と比べても見通しがよくなったという気が全然しないのは何故だろう?むしろ、余計に分からなくなった。

 でもとにかく、ネヴィリルがカコイイということだけはよく分かった。神聖なシムーンで兵員を輸送するという、文字通り罰当たりな作戦内容、さらに隊長(やけに男前……)の相手を試すような皮肉に怒りを隠せないながらも、冷静にコール・テンペストを指揮する。そんな今の彼女に、アムリアの死によって塞ぎこんでいた当時の面影はすでにみられない。思わぬ事態に動揺しつつも隊長の案内を買って出たり、任務を終えて「こんな不恰好な姿を好きになれっていう方が無理」と言い放ったり、強いリーダーシップと年齢相応の少女らしさのギャップが良い。しかも、アーエルとキスするとき舌入れてたでしょ?

 にしても、こういう女だけの世界で男をどう描くかというのはけっこう考えさせられる問題だけれども、「それまで女子校だったのに急に共学化されてしまって困惑」な感じがよく出ていて面白かった。男も全員女声というのは、世界観を崩すことなく、こうしたエピソードを描くための方策なのだろう。

 フロエは、女に好かれないが男受けは良いという典型のようなキャラ。だけどパラ様の「頭イタイ……」というつぶやきには、その手の反感よりは中間管理職の悲哀みたいなものを感じてしまった。コール・テンペストは基本的に同年代のシヴュラで構成されているにもかかわらず、世代間ギャップのような乗り越えられない幾つもの壁で隔てられている感じが好きだ。しかし、今回の兵士たちのようにあからさまに異質な闖入者と対比されることによって、逆に彼女たちに共通する特殊性がみえてくる。

 隊長の言葉通り、軍人や戦士には徹しきれない彼女たちは、罠に嵌められた自国軍の支援に回ってからも様々な反応をみせる。特にカイムの、現実に人の姿をみては攻撃できないという反応は、ネヴィリルに対するアムリアの「目を見ては殺せない」との言葉に相通じるものがある。これに加えて、「シムーンは悪魔だ」とぼう然とつぶやく少年兵士のセリフの、第一話への対応関係からしても、節目のエピソードになっている。関係ないが、彼とフロエはもう破局したのかな?まあ、崇拝は恋に変わらないと言うし、どのみちこうなったのでは……

 シヴュラたちに共通する特殊性、つまり"神の乗機"、"悪魔"、"機械"など様々に形容され畏怖されつつ、どの枠にもおさまりきらない存在であるシムーンに、国家や信仰の大義ではなく、ごく個人的な理由から乗り続けなければならないということ。「じゃあシムーンって何?」という疑問に、第一話いらい立ち返ってきたわけだけれども、この謎があるからこそ、シムーンはよく分からないアニメになっているのではないでしょうか。
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[ローゼンメイデン] 月刊コミックバーズ 7月号

コミック BIRZ (バーズ) 2006年 07月号 [雑誌] /

 めぐ銀萌え!!!

 以下ネタバレ。



 ローゼンメイデンは「ボクがお人形に恋!?」みたいな一種の倒錯性が魅力のひとつなのだと思うけれども、まさか主役をさしおいて結婚式やっちゃうとは思わなかった。やはり、めぐはただものではないな!

 病めるときも健やかなるときも死んでもラブラブなのはよく分かったけれど、正式に契約した二人はあの後あれですか?新婚初夜ですか?嫌がる水銀燈をめぐが抱っこして寝るんだけど、朝起きたら水銀燈のほうがぎゅーっと抱きついて寝てて、それを指摘したら真っ赤になって怒られますか?

 それはさておき、唐突に契約に踏み切った水銀燈の真意が気になるところ。雪華綺晶の言葉を信じてすんなり取引に乗ってしまう水銀燈でもないと思うのだけれども、「あんたなんかにめぐをくれてやるはずないでしょ?」みたいなノリなら、これまで散々躊躇してきたのに少し浅はかな気もする。むろん、めぐの身を案じて、という線もある。しかし、水銀燈のキャラからいえば、新たなドールがアリスゲームに加わったのをみて、めぐという手駒を確保しておくぐらいの考えで動いていた方が納得できる。めぐを気遣っていたり、「約束は守る」と繰り返したり、それでいてアリスゲームや真の目的(「殺してしまいたい人間がいるの」等々)への意欲もあいかわらずだったりして、水銀燈の考えはよく理解できない。彼女には彼女のやり方があるということだろう。

 何を考えているのか分からないという点では、めぐも引けをとらない。

 ある種の物語によって生きている、感受性の強い少女。自分の死すらも虚構化してしまっているめぐは、正確にいえば死に憑かれているというよりも、不治の病というロマンチシズム、文学的なイメージ、メタファーに憑かれているといったほうがよい。。自分のおかれている状況を指して「文学的で美しい」と言ってのける病人……逃避、自己欺瞞、それとも本当に死に憧れているのだろうか?先送りされつづける死の苦痛、壊れていく家族との関係が、それを強いるのだろうか。

 一見して、水銀燈の手で死なせてほしがっているだけのようにもみえるが、その実、めぐは死ねば水銀燈の一部になれると信じ込んでいるようだ。「死んでも一緒」という言葉がそれを証している。それでも、これほど相手のことを考えない、身勝手な願いもないと思う。めぐは、水銀燈が自分に死んでほしくないと考えるなどとは、夢にも思っていないかのようだ。

 めぐは、水銀燈の、何なのだろう?

 個人的には、雪華綺晶には二人をからめとるようにして追い込んでいってほしい。それでめぐが、水銀燈に裏切られたと感じる展開が見たい。